最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)328号 判決 1979年3月30日
上告人
甲野花子
上告人
丙原春子
上告人
甲野夏子
上告人
甲野秋子
右法定代理人親権者
甲野花子
右四名訴訟代理人
信部高雄
大崎勲
被上告人
乙山雪子
右訴訟代理人
橋本順
外三名
主文
原判決中上告人甲野花子に関する部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
上告人丙原春子、同甲野夏子、同甲野秋子の本件上告を棄却する。
前項に関する上告費用は、同上告人らの負担とする。
理由
上告代理人信部高雄、同大崎勲の上告理由中上告人甲野花子に関する部分について
原審は、(1) 上告人甲野花子と訴外甲野一郎とは昭和二三年七月二〇日婚姻の届出をした夫婦であり、両名の間に同年八月一五日に上告人丙原春子が、昭和三三年九月一三日に同甲野夏子が、昭和三九年四月二日に同甲野秋子が出生した、(2) 一郎は昭和三二年銀座のアルバイトサロンにホステスとして勤めていた被上告人と知り合い、やがて両名は互に好意を持つようになり、被上告人は一郎に妻子のあることを知りながら、一郎と肉体関係を結び、昭和三五年一一月二一日一女を出産した、(3) 一郎と被上告人との関係は昭和三九年二月ごろ上告人花子の知るところとなり、同上告人が一郎の不貞を責めたことから、既に妻に対する愛情を失いかけていた一郎は同年九月妻子のもとを去り、一時鳥取県下で暮していたが、昭和四二年から東京で被上告人と同棲するようになり、その状態が現在まで続いている、(4) 被上告人は昭和三九年銀座でバーを開業し、一郎との子を養育しているが、一郎と同棲する前後を通じて一郎に金員を貢がせたこともなく、生活費を貰つたこともない、ことを認定したうえ、一郎と被上告人との関係は相互の対等な自然の愛情に基づいて生じたものであり、被上告人が一郎との肉体関係、同棲等を強いたものでもないのであるから、両名の関係での被上告人の行為は一郎の妻である上告人花子に対して違法性を帯びるものではないとして、同上告人の被上告人に対する不法行為に基づく損害賠償の請求を棄却した。
しかし、夫婦の一方の配偶者と肉体関係を持つた第三者は、故意又は過失がある限り、右配偶者を誘惑するなどして肉体関係を持つに至らせたかどうか、両名の関係が自然の愛情によつて生じたかどうかにかかわらず、他方の配偶者の夫又は妻としての権利を侵害し、その行為は違法性を帯び、右他方の配偶者の被つた精神上の苦痛を慰藉すべき義務があるというべきである。
したがつて、前記のとおり、原審が、一郎と被上告人の関係は自然の愛情に基づいて生じたものであるから、被上告人の行為は違法性がなく、上告人花子に対して不法行為責任を負わないとしたのは、法律の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの点において理由があり、原判決中上告人花子に関する部分は破棄を免れず、更に、審理を尽くさせるのを相当とするから、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。
同上告理由中上告人丙原春子、同甲野夏子、同甲野秋子に関する部分について
妻及び未成年の子のある男性と肉体関係を持つた女性が妻子のもとを去つた右男性と同棲するに至つた結果、その子が日常生活において父親から愛情を注がれ、その監護、教育を受けることができなくなつたとしても、その女性が害意をもつて父親の子に対する監護等を積極的に阻止するなど特段の事情のない限り、右女性の行為は未成年の子に対して不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。けだし、父親がその未成年の子に対し愛情を注ぎ、監護、教育を行うことは、他の女性と同棲するかどうかにかかわりなく、父親自らの意思によつて行うことができるのであるから、他の女性との同棲の結果、未成年の子が事実上父親の愛情、監護、教育を受けることができず、そのため不利益を被つたとしても、そのことと右女性の行為との間には相当因果関係がないものといわなければならないからである。
原審が適法に確定したところによれば、上告人丙原春子、同甲野夏子、同甲野秋子(以下「上告人春子ら」という。)の父親である甲野一郎は昭和三二年ごろから被上告人と肉体関係を持ち、上告人春子らが未だ成年に達していなかつた昭和四二年被上告人と同棲するに至つたが、被上告人は一郎との同棲を積極的に求めたものではなく、一郎が上告人春子らのもとに戻るのをあえて反対しなかつたし、一郎も上告人春子らに対して生活費を送つていたことがあつたというのである。したがつて、前記説示に照らすと、右のような事実関係の下で、特段の事情も窺えない本件においては、被上告人の行為は上告人春子らに対し、不法行為を構成するものとはいい難い、被上告人には上告人春子らに対する関係では不法行為責任がないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができ、この点に関し、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、三八六条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官大塚喜一郎の補足意見、裁判官本林譲の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。
上告理由中上告人丙原春子、同甲野夏子、同甲野秋子に関する部分について、私は、被上告人の同棲行為と上告人春子らが被つた不利益との間には相当因果関係がないとする多数意見に同調するものであるが、若干の意見を補足しておきたい。
妻及び未成年の子のある男性と肉体関係を持つた女性が妻子のもとを去つた右男性と同棲するようになれば、右未成年の子が事実上父親の監護等を受けられなくなり、そのため不利益を被る場合があることは、否めないことである。この場合に、問題は、右の事実上の不利益を法的に評価して原因行為と相当因果関係にあるものであるとしうるかどうかである。本林裁判官は、右の不利益は本件のような場合には、女性の同棲行為によつて通常生ずるのであるから、相当因果関係があるとされるのである。なるほど、不法行為における行為とその結果との間に相当因果関係があるかどうかの判断は、そのような行為があれば、通常はそのような損害が生ずるであろうと認められるかどうかの基準によつてされるべきであり、私は、一般論として同裁判官と意見を異にするものではないけれども、本件のような場合においては、家に残した子に対し、監護等を行うことは、その境遇いかんにかかわらず、まさに父親自らの意思によつて決められるのであるから、相当因果関係の有無の判断に当たつては、この父親の意思決定が重要な意義を持つものと考えるべきである。そして、右父親の意思決定のいかんによつて未成年の子が監護等を受けられるか、又は受けられないかの結果が生ずるものであるところ、多数意見摘示にかかわる原審の確定した事実関係のもとにおいては、相手方の女性の同棲行為によつて未成年の子が不利益を受けることが通常であるとはいゝ難く、右不利益は、あくまでも事実上もたらされたものにしかすぎず、それを法的に評価して原因行為と相当因果関係にある結果であるということはできない。なお、本件のような事案において、子が父親に対しては損害賠償の請求を行わず、その同棲の相手方となつた女性に対してだけ損害賠償の請求をする事例が一般的であるところ、その請求者の態度は心情的に理解できないわけではないが、この一般的事実及びその背景にある法解釈論は、本件相当因果関係の判断に関する考慮要素とすることができる。
さらに、本林裁判官は、子が被る不利益が法の保護に価する法益であるといわれるので、この点について附言すると、右判示は、つまり不法行為における加害者の行為の違法性の問題を指摘したものと解されるところ、違法性の有無の判断に当たつても、子が父親に対しては損害賠償の請求をしないという前記一般的事実及びその法解釈論は、十分に考慮されるべきであると考える。
裁判官本林譲の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告理由中上告人丙原春子、同甲野夏子、同甲野秋子に関する部分について、多数意見とは異なり、被上告人の行為と上告人春子らが被つた不利益との間には、相当因果関係があるとすべきものと考える。すなわち、多数意見は、被上告人が、上告人春子らのもとを去つたその父親の一郎と同棲するに至つた結果、同上告人らが父親から愛情を注がれ、監護、教育を受けることができなくなつて不利益を被つたとしても、被上告人の右行為と同上告人らが被つた不利益との間には相当因果関係はないとし、その理由として、一郎は、他の女性との同棲の有無にかかわりなく、上告人春子らに対して自らの意思によつて監護等を行うことができるのであるから、それを行うかどうかは、被上告人との同棲とは、関係がないというのである。なる程、父親が未成年の子に対して行う監護及び教育は、父子が日常起居を共にしなければできないものではなく、他の女性と同棲していたとしても、父親が強靱な意思をもつて行えば行えなくはないものであろう。しかし、私は、未成年の子を持つ男性と肉体関係を持ち、その者の子供を出産し、妻子のもとを去つた右男性と同棲するに至つた女性がたとえ、自らその同棲を望んだものでもなく、同棲後も、男性が妻子のもとに戻ることに敢えて反対しないのであつても、同棲の結果、男性がその未成年の子に対して全く、監護、教育を行わなくなつたのであれば、それによつて被る子の不利益は、その女性の男性との同棲という行為によつて生じたものというべきであり、その間には相当因果関係があるとするのが相当であると考えるのである。けだし、不法行為における行為とその結果との間に相当因果関係があるかどうかの判断は、そのような行為があれば、通常はそのような結果が生ずるであろうと認められるかどうかの基準によつてされるべきところ、妻子のもとを去つて他の女性と同棲した男性が後に残して来た未成年の子に対して事実上監護及び教育を行うことをしなくなり、そのため子が不利益を被ることは、通常のことであると考えられ、したがつて、その女性が同棲を拒まない限り、その同棲行為と子の被る右不利益との間には相当因果関係があるというべきだからである。更に、日常の父子の共同生活の上で子が父親から日々、享受することのできる愛情は、父親が他の女性と同棲すれば、必ず奪われることになることはいうまでもないのであり、右女性の同棲行為と子が父親の愛情を享受することができなくなつたことによつて被る不利益との間には、相当因果関係があるということができるのである。したがつて、私は、本件において、被上告人の同棲行為と上告人春子らが日常生活上、父親からの愛情を享受することができなくなり、監護、教育を受けられなくなつたことによつて被つた不利益との間には、相当因果関係があるものと考えるのであり、この点において多数意見に同調することができないものである。
このように、被上告人の行為と上告人春子らが被つた不利益との間に相当因果関係が認められるとすれば、次に検討されなければならないのは、被上告人の行為によつて上告人春子らが被つた不利益は、はたして不法行為法によつて保護されるべき法益となり得るかの問題である(この問題については、多数意見は、論理的帰結として当然ながら論及していないのである。)。民法八二〇条は、親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負うと規定する。右監護及び教育の義務が国家、社会に対する義務なのか、子に対する私法上の義務なのか、又はその両方の性質を有するものかは、にわかに決し難いものがあるが、いずれにしても、少なくとも親が故意又は過失によつて右義務を懈怠し、その結果、子が不利益を被つたとすれば、親は、子に対して不法行為上の損害賠償義務を負うものというべきであるから、右不利益は、不法行為法によつて保護されるべき法益となり得ると考えられるのである。また、未成年の子が両親とともに共同生活をおくることによつて享受することのできる父親からの愛情、父子の共同生活が生み出すところの家庭的生活利益等は、未成年の子の人格形成に強く影響を与えずにはいられないものであり、かつ、人間性の本質に深くかかわり合うものであることを考えると、法律は、それらへの侵害に対しては厚い保護の手を差し延べなければならない、換言すれば、右利益等は、十分に法律の保護に価する法益であるというべきである。
このように考えると、ある女性が未成年の子を家に残して来た男性と同棲することによつて、右子が父親からの愛情、監護、教育を享受し得なくなるような結果が生じた場合には、右女性は、故意又は過失がある限り、未成年の子に対し、不法行為責任を負うものといわざるを得ないわけである。そうすると、原審が本件事実関係の下においては、被上告人は、上告人春子らに対し、不法行為責任を負わないとしたのは、法令の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、この点において理由があり、原判決中上告人春子らに関する部分も、破棄を免れず、更に、審理を尽くさせるため右部分についても本件を原審に差し戻すのが相当であると考える。
(吉田豊 大塚喜一郎 本林譲 栗本一夫)
上告代理人信部高雄、同大崎勲の上告理由
一、(はじめに)
1 本件は本妻とその子供たちから、夫の情婦、いわゆる二号に対する慰藉料請求の事案である。
2 第一審判決は三年間の慎重な審理を経た上で、通説・判例の示すところに従い、妻子ある男と不倫関係に陥り、その家庭を破壊した者は、妻のみならず子に対しても不法行為責任を負うべきであるとして、上告人(原告ら)の請求をほぼ認容した。
3 之に対し原判決は、双方本人の簡潔な尋問を経ただけで、結審し、第一審判決を全面的に覆えし、被上告人(被告)の責任はゼロであるとして上告人の請求を全部棄却したものであるが、その理由たるや、通説・判例を全く無視し人倫道徳・家庭生活秩序を無視したもので、およそ説得力のない、舌足らずな、こじつけの暴論にもとづく。
4 原判決の立論は、健全な家庭生活の崩壊をもたらし、乱交奨励の論拠となる危険性をはらみ、第一審の女性裁判官に対する嘲笑的挑戦とすら受けとれるものであつて、到底納得できない。
5 この種のケースでは、下級審判決例は数多あるが、最高裁判例は未だ必ずしも明瞭ではないので、最高裁としての健全な御判断を示され、原判決を破棄していただきたい。
二、(妻子ある男と不倫関係に陥り、その家庭を破壊した者は、妻のみならず子に対しても不法行為責任を負うというべきである。)
1 最高裁昭三四・一一・二六判(民集一三―二―一五六二)によれば配遇者の一方と情交関係を結び、不貞行為に加担した者は、他方に対し不法行為責任を負うとされ、この点は学説にも異論はない(加藤不法行為法一三〇頁。注釈民法(19)九二頁。同(20)三三〇頁参照)。
2 ちなみに、この線にそつた下級審判決は次のとおりである。
東地 昭四四・二・三判、
判時五六六―七一
大阪高 昭四四・六・二四判、
判時五八六―六六
大阪地 昭四二・七・一五判、
判時五〇三―五六
大阪地 昭四三・二・二二判、
判時五二三―五九
札地 昭四五・一二・一六判、
判時六二七―八三
東高 昭四七・一一・三〇判、
判時六八八―六〇
東地 昭三七・七・一七判、
判時三〇六―五
大阪地 昭三九・六・二九判、
判時三九五―三八
東高 昭三九・一二・二三判、
東高時報一五―一二―二六五
広地 昭四八・九・二一判、
判時七二六―八〇
東高 昭四八・三・九判、
タイムズ三〇六―一九八
仙地 昭五〇・二・二六判、
判時八〇一―八二
千葉地 昭四九・一二・二五判、
判時七八二―六九
3 本件原判決は「(男)のさそいかけから自然の愛情によつて情交関係が生じたものであり、(女)が子供を生んだのは母親として当然のことであつて、(男)に妻子があるとの一事でこれらのことが違法であるとみることは相当でない」(理由三)という。
また原判決は「(男)と(女)の同棲以来子供らが(父)の愛ぶ養育を受けられなくなつたわけであるが、これは一に(男)の不徳に帰するところであつて、(女)に直接責任があるとすることはできない」(理由三末尾)ともいう。しかし右立論が、垣間見て物を言う、おそるべき誤りを犯していることは次に述べるとおりである。
4 被上告人が訴外一郎と情交関係を生じたのは昭和三二年頃であり、このとき被上告人は二八―九才、一郎は三六―七才である。
そして二人の間に子供が生れたのが昭和三五年一一月二一日で、このとき被上告人は三一才、一郎は三九才位である。
さらに二人の関係が上告人に判明してゴタゴタが起き、訴外人が冷却期間をおくと称して、単身でアパートを借りて別居するようになつたのが昭和三九年のことであり、このとき被上告人は三五才、訴外人は四三才である。
いずれにせよ、二人は、その結びつきの最初から世間の常識をわきまえてよい年令である。
5 しかも被上告人は、その結びつきの始まりから、一郎に妻子のあることは十分知つていたのであり(第一審被告本人調書二四七丁裏)、子供を生めば将来トラブルが起きるであろうことも予想していたという(同人調書二四三丁)のである。しかるに避妊の措置も全く講ずることはしなかつたという(同人調書二四二丁裏)。
一郎も子供を生むことには賛成ではなく、「正直いつて困つたなと思つていた」し、「困るということは言つていた」(一郎証言第一回一七七丁、第二回一八六丁、木崎証言一六〇丁、稲田証言二一二丁)のである。
だからこそ二人の関係は、上告人には七年間もひたかくしにかくされていたのである。
被上告人は、この点について、「私の方が悪いのですからお金で解決できるなら解決したいと思つています」とし「上告人と一郎の離婚ができればそれが望ましいが、必ずしもそれにこだわらない」趣旨を述べている(第一審被告本人調書二四八丁)。
三、(妻子ある男と不倫関係に陥り、その家庭を破壊した者は、その年令・不倫関係の期間などからみて、之を抑止すべき反対動機・機会の十分にあるばあい、どちらが積極的に誘つたかということは問題とすべきではない。)
以上述べたように訴外一郎との情交関係は妻子あることを十分に認識した上での不倫かつ不自然な愛欲にもとづくものであり、被上告人も十九はたちの小娘でなく、世間並みの常識を備えた年令にあり、自己の行為が将来いかなる紛争結果をもたらすか十二分に予測しており、之を抑止しうべき反対動機も、その機会もあり余るほどに存在したに拘らず、敢えて長年にわたりその関係を続け、避妊措置も講じないで子供を生み、それが発端となつて、遂に夫婦の別居に走らせ上告人の家庭を破壊させるに至つたのであつて、その責任は到底免れえないところである。どちらが誘つたかなどということは、年令・期間等からみて全く問題にはならないのである(前掲東地四四・二・三判決理由同旨)。
四、(不倫関係において敢えて非嫡出の子供を生むこと、およびその認知を求めることは正妻と嫡出子に対する不法行為となるというべきある。)
次に原判決は「子供を生んだのは母親として当然」というが(理由三)、こんな舌足らずの議論はない。
今日の我国においては、妊娠中絶は極めて容易な日常茶飯事として容認されていることは公知である。
のみならず避妊の思想・方法の普及もめざましいところである。にも拘らず、被上告人が避妊の方策すら全く講じたことがなかつたということは驚くべきことである。生むことによつて将来必ずや、さまざまの紛争が生ずることの予想できた非嫡出の子を、訴外一郎も望まなかつたのに、女だから子供が欲しかつたという理由だけで敢えて妊娠・出産し、加うるにその認知を求めたことは、男の妻に対する守操義務・妻子に対する健全かつ平和な家庭生活への侵害行為であり、之が不法行為となることは明らかである(前掲大阪高裁昭和四四・六・二四判決理由同旨)。
五、(夫婦別居後の同棲であつても、その別居の原因がそれまでの不倫関係に起因し、それが妻にばれたことが理由となつているばあいには、その後の同棲も妻子に対する引続く不法行為であり、男女いずれが誘つたかということは重要な問題ではないというべきである。)
1 原判決は訴外一郎が上告人と別居するに至つた昭和三九年六月に破綻したから、その後の同棲は違法でなく、また同棲は訴外人が被上告人方へ赴いたものであるから被上告人には責任がない旨判示している(理由三)。
2 昭和三九年六月の別居は、その年の二―三月頃、上告人が初めて被上告人とその子の存在を知り、不倫関係が七年間も継続していたことを知つて、当時三女秋子の臨月に近い体で(秋子昭三九・四・二出産)情緒不安定な時期にあつた上告人に対し、一郎が暫く冷却期間をおく目的から別居したものである(一郎一審第二回証言一八七丁、木崎証人一六一丁)。
この時点では、一郎は自分が悪いのだから、両方に対して顔をたて、足を向けないで一人で住むという気持であり、上告人をなじるような言葉は全く述べていないのである(木崎証人一六二丁、稲田証人二一一丁)。
従つて、この時点で夫婦関係が完全に破綻しているとはいえないことは明らかである。また、この時点では双方離婚の意思はなく、一審判決説示のとおり、現在に至るも離婚の協議も成立していないのである。
このことは、「昭和三九年頃、一郎が被上告人と結婚したいと考えていなかつた」こと、「被上告人からも結婚してくれといわれたことはなかつた」こと(一郎第二回証言一九三丁)からも明らかである。
3 訴外一郎が被上告人のことが原因で家庭紛争が起き、冷却期間をおくため一人でアパート住いをしていたのであるから、被上告人としては、むしろ自からの責任を感じて身を引き、一郎をして妻子のもとへ帰らしめるように取計らうのが良識ある三五才の女のなすべきことである。子供を生むことによつて誰にも迷惑をかけない、自分で責任をもつと公言した手前(一郎第二回証言一八六丁)、それが当然である。一郎が勝手に赴いてきたというのは逃げ口上に過ぎない。別居をもつけの幸いとして同棲へ持込んだのが真相である。
いずれにせよ被上告人の責任否定の理由とはならない。
4 最近の下級審裁判例の中には、夫婦関係が破綻していたばあいであつても、その一方と情交関係をもつた者は不法行為責任を免れないものが二件もある(前掲東高昭三九・一二・二三判、東高昭四八・三・九判参照)。家庭秩序の回復・維持を尊重したものであつて、至極当然の判決であろう。
5 被上告人と一郎との同棲は、右のように夫婦関係が完全に破綻しているときのものでないから、右判例は直接に当てはまらないが、本件のように被上告人の不倫行為が原因となつて別居に至つているばあいには、その後の同棲は、先の不法行為の継続拡大であり、その責任は増大こそすれ、これが否定される筋合は毛頭存しないというべきである。
6 また不貞行為に加担した者は等しく不法行為責任があり、このばあい夫婦が離婚しているか否かは加担者の不法行為責任には影響がないことも、通説である(注釈民法(19)九二頁)。
六、(結論)
以上、いずれにせよ、被上告人の行為が、上告人ら妻子に対する関係で、不法行為となり、その形態は訴外一郎との共同不法行為であつて、(一郎に対する責任追及は目下検討中)、その責任が訴外人のみにあり、被上告人の責任がゼロであるとする原判決は暴論というほかはない。もしかかる判決が是認されるならば、世論はこれを妾関係の肯定、乱交の奨励と受けとめること必定である。かくては健全な家庭生活秩序の崩壊をもたらすであろう。憲法二四条は「婚姻が相互の協力により維持されなければならない」と明定している。またその一三条は幸福追求の権利を明定する。すべからくこの理念に従つて、原判決を破棄し、一審判決を活かして、健全な家庭秩序の尊重・維持を目指した明確な裁判例をお示しいただき、最高裁の存在価値を世上に明示していただきたいのである。